陶像」を、ご案内致します。
青海島・大日比地区商人の県道沿いにある清涛山(せいとうざん)の中腹に、大内義隆公の陶像が立っています。
この陶像は、昭和38年(1963)に建立されたもので、総高2m79cm、像の高さは1m86cmです。
大内義隆公の陶像については、長門郷土文化研究会が平成12年1月10日に発行した「長門のいしぶみ」に掲載されていますので、ご紹介します。
大内義隆公之像 略記 青海島商人(あきうど/地名)の山の中腹、県道から見上げる位置にこの像が立っている。悲運の武将、大内義隆の束帯姿の立像である。
最初は大日比地区の六浦(もうら/地名)の小高い丘の上に建立されたが、のち、現在地に移された。
この種の像としては珍しい陶製で製作は十四代・坂倉新兵衛窯(三ノ瀬)。陶工は同窯所属(現在、独立)の大野瑞峰(本名・才吉、当時52才)。瑞峰は置物細工の名工といわれたが、等身大の大きな作品の窯焼きは、大変な苦労があったという。
昭和38年、山口国体相撲競技の長門市開催を記念して沢村巖(正明市)らが発起、この陶像建立会(会長・村田平吉)が組織された。関係者の努力で見事な像が完成、同年10月21日、除幕式が行われた。
天文20年(1551)8月、山口を追われた義隆一行は、ここ商人の地にたどりつき天龍院(西圓寺の前身)で疲れを癒した。一行はここから海路脱出を図ったが、風波に阻まれて果たせず、9月1日、義隆は湯本・大寧寺で自害する(上利家文書)
像の建つ山の麓には「清涛山(せいとうざん)」(沢村巖命名)と刻まれた、御影石の標柱(高さ145cm)がある。
長門郷土文化研究会会員の青海島育ちのマッサン