終戦の翌月の9月2日、外地で悲惨な終戦をむかえた復員の軍人や一般の人々の第一次引揚者7千人が仙崎港に上陸しました。
仙崎では、寺や学校が、引揚援護の事務所や救護所、宿泊所に当てられ、応急のバラック住宅も建てられたが十分には対応出来ずに、仙崎や正明市駅(現長門市駅)付近の民家にも、多くの引揚者がお世話になりました。
昭和21年末、仙崎が引揚港の役割を終えるまで、この港に上陸した人々は約41万人、ここから朝鮮に帰った人々が約34万人にもなりました。
敗戦の混乱の中で、故国日本の土を踏んだ喜び、温かくむかえてくれたこの地の人々。その後、当時を懐かしんで 、再び仙崎を訪れた人々も多くあります。
青海島育ちのマッサン