2011年11月26日

大分県中津市の福澤諭吉旧居・記念館

 今日の旬の景色(その2)は、先日大分県を旅行しました中から、福澤諭吉旧居・記念館を、ご案内致します。

 福澤諭吉は、天保5年(1835)に大坂の中津藩蔵屋敷で、13石2人扶持の下級武士福澤百助の次男として生まれました。
 1歳6ヶ月の時父と死別し、母子6人で中津に帰郷。貧しくとも信念を持った少年時代を過ごし、14歳になって儒学者白石照山の塾に入りました。
 
安政元年(1854)、19歳の時蘭学を志して長崎に遊学、翌年からは大坂の緒方洪庵の適塾で猛勉強に励みました。安政5年(1858)には、藩命により江戸の中津藩中屋敷に蘭学塾を開きました。これが慶應義塾のはじまりです。
 
 西洋の語学力と知識をたくわえたいと考えた諭吉は、万延元年(1860)「咸臨丸」に乗り込み渡米。以後、ヨーロッパ諸国も歴訪し、社会の制度や考え方などに旺盛な好奇心で見聞を広めました。
 その後『西洋事情』『学問のすゝめ』『文明論之概略』などを続々と著し、当時の日本人に西洋文明の精神を伝えました。

・・・福澤諭吉旧居・記念館HPより・・・



 福澤諭吉旧居

福澤諭吉・旧宅1.jpg



福澤諭吉・旧宅2.jpg



 福澤諭吉・旧居の説明

福澤諭吉・旧宅の説明.jpg



 福澤諭吉旧居の内部

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 福澤公園の説明

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 福澤諭吉の銅像

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 福澤諭吉旧居と記念館

福澤諭吉・旧宅・記念館.jpg



 一万円札の第一号券・・・超お宝です。・・・年末ジャンボで1等を当てて、福澤諭吉さんを団体でお迎えできれば、超最高なのですが・・・12月31日に期待しましよう。・・・動機が不純?ですかね・・・

一万円札.jpg


 福澤諭吉の代表的な著作の一つに、「学問のすゝめ」があります。

 「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らずと云へり」の書き出しで知られる福澤の代表的著作の一つ。新しい自由な考え方を生み出せない儒教思想を批判し、実証的な学問の重要性を説いています。
 当初は福澤が中津に洋学校(中津市学校)を開設するに当たり、中津の若者のために書いたものでしたが、やがて大ベストセラーとなり、17編まで合わせて、340万部が読まれたといわれます。

・・・福澤諭吉旧居・記念館のHPより・・・



 文学等の歴史探訪の旅も、いいものです。・・・温故知新・・・いろいろと「気付かされ」・「考えさせられ」ます。


 青海島育ちのマーくん

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posted by 青海島育ちのマッサン at 11:46| 山口 ☀| Comment(0) | 九州 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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