2012年10月24日

長門郷土文化研究会・歴史探訪・「宇部護国神社」(1)

 今日の宇部市・旬の景色は、「長門郷土文化研究会・歴史探訪」その7として、「宇部護国神社」(1)を、ご案内致します。

 雨の護国神社参道・・・階段が続きます。


 宇部護国神社参道.jpg



 手水所の神水で、身も心も清めます。

 手水所での清め.jpg



 階段を上がりますと、更に、次の階段が待っています。・・・いい運動になります。

 階段が続きます。.jpg



 宇部護国神社の説明板

 宇部護国神社説明板.jpg



 立派な銅像があります。・・・「福原越後元|公」の銅像

 福原越後元|公銅像.jpg



 福原越後元|公銅像の説明板

 福原越後元|公銅像説明板.jpg



 宇部護国神社社殿

 社殿.jpg



 神殿・・・全員で参拝しました。

 神殿.jpg



 長門郷土文化研究会会員で宇部市在住の「村田さん」から、挨拶と宇部護国神社に纏わるお話などがありました。

 宇部市の村田さん.jpg



 野村宮司さんから、宇部護国神社の歴史・由来の説明がありました。

 宇部護国神社の創建は、慶応二年(1866年)11月で、第一次長州征伐回避の為、禁門の変の責任をとらされ自刃された藩三家老の一人宇部領主福原越後翁を主祭神とし、禁門の変で越後翁に従って出兵され戦死された22柱の御霊が合祀されて「維新招魂社」と命名され、神社の紋には、福原翁の「かたばみ」が用いられました。

 初めは、崩山の地名から「崩し招魂社」通称「御霊社」とも云われていました。このあたりは、「維新山」といわれ、山続きの西端には福原翁の墓所宗隣寺があり、中尾には維新館もあって明治維新とは縁の深い土地柄であります。
 銃弾に縁深く『願掛け弾』や『願い玉』が有名で、多くの人が願掛けや願玉を求めに来られます。


 宮司さんの説明.jpg



 明日は、長門郷土文化研究会・歴史探訪・「宇部護国神社」その2を、ご案内致します。

 青海島育ちのマーくん



posted by 青海島育ちのマッサン at 08:55| 山口 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 宇部市・山陽小野田市 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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