伊藤博文は、天保12年(1841)9月2日、当時の周防の国熊毛郡束荷村、今の熊毛郡大和町で、百姓 林十蔵、母琴子の長男として生まれました。
安政元年(1854)博文14歳の時、父が家族を連れて萩藩の中間、水井武兵衛(伊藤直右衛門)の養子となり、この家に住むことになりました。
博文が17歳の時に近くの松下村塾に通って吉田松陰の教えをうけ、尊皇攘夷運動の志士として活躍し、 28歳の明治元年、兵庫県知事に赴任するまでの14年間は、ここを本拠としました。
その後、明治憲法制定の任にあたってその功を遂げ、初代内閣総理大臣、枢密院議長、貴族院議長に就任するなど政府の要職を歴任しました。
4度に渡り内閣を組閣する等、明治の元勲といわれ、政府の最高指導者となりましたが、日露戦争後、初代韓国総監となり、明治42年(1909)枢密院議長として満州訪問の途上、ハルビン駅頭で安重根に狙撃され、69歳でこの世を去りました。
この旧宅は、茅葺き平屋建て(7室、建築面積8952平方メートル)で、風呂場と便所が野外にある当時の農村にあった典型的な下級武士の住宅です。
伊藤博文の学業時代を偲ばせる「貴重な史跡」になっています。
(萩本陣HPより)
萩市 国指定史跡「初代内閣総理大臣 伊藤博文 旧宅」の位置
松陰神社から徒歩5分の所にある「伊藤博文 旧宅」等の道しるべ

伊藤博文 旧宅の門と石柱


この門をくぐりますと右手に、伊藤博文略年譜が掲示されています。

伊藤博文 旧宅

この伊藤博文 旧宅には、「皇太子殿下行啓の所・石碑」が建立されています。

明日は、萩市 国指定史跡「初代内閣総理大臣 伊藤博文 旧宅」その2を、ご案内致します。
青海島育ちのマーくん
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