「郡司鋳造所遺構広場」の位置・・・萩市東部観光案内板

郡司鋳造所遺構広場は、萩藩の代表的な鋳物師であった松本郡司家の鋳造工房の遺構を移築整備した広場です。
なかでも、西洋式の青銅大砲を鋳造し、一番深いところで4.5mもある巨大な石組み大砲鋳造遺構は、日本でも唯一のものです。

郡司鋳造所址石柱

東屋・・・移築復元された遺跡広場等の説明板が、設置されています。


郡司鋳造所のあゆみ
郡司家は、もと塚本と名乗り、江戸時代前期に、大砲鋳造の技術により長州藩に召し抱えられた郡司讃岐を中興の祖とします。その子孫は八家に分かれ、それぞれ長州藩において砲術師や鋳物師として活躍しました。
ながでも讃岐の三男喜兵衛(信安)は、讃岐の開いた萩松本の細工場を受けつぎました。
これが、現在、郡司鋳造所跡と呼ばれる鋳物工場のはじまりで、江戸時代を通じて、鍋・犂先など生活用具、あるいは梵鐘から、長大な様式大砲にいたるまで、多様な銅・鉄製品を鋳造しました。
幕末萩の洋式大砲づくり
幕府や先進的な諸藩は、アヘン戦争の情報が届くと、旧来の和式大砲では欧米列強の軍事力に対抗できないことをさとり、洋式大砲の導入を急ぎました。
なかでも広い海岸線をもった長州藩は、すぐに郡司源之允を長崎の高島秋帆のもとに派遣して、洋式砲術を研究させました。そしてペリー来航後、幕府が諸藩に洋式砲術の採用を奨励すると、長州藩は郡司家の細工場を大砲鋳造所とし、郡司喜平治を大砲鋳造用掛に命じました。
そのほか、郡司千左衛門や郡司武之助など、郡司家の人々は幕末萩の洋式大砲づくりに大きく貢献しました。

発掘調査の状況

西洋式大砲「長州砲」

郡司鋳造所址


明日は、山口県萩市椿東「郡司鋳造所遺構広場」その2を、ご案内致します。
青海島育ちのマーくん
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