2013年09月12日

山口県萩市椿東「郡司鋳造所遺構広場」(2)

 今日の萩市椿東・旬の景色は、西洋式大砲「長州砲」を在来技術で鋳造した「郡司鋳造所」の遺構広場その2を、ご案内致します。

 郡司鋳造所の西洋式大砲「長州砲」の鋳物現場復元
 江戸時代を通じて「郡司鋳造所」では、長大な洋式大砲から鍋・犂先など生活用具、あるいは梵鐘にいたるまで、多様な銅・鉄製品が鋳造されていました。


 郡司鋳造所1.jpg



 郡司鋳造所2.jpg



 郡司鋳造所3.jpg



 郡司鋳造所の説明パネル

 説明パネル.jpg



 大砲鋳造想像復元図説明

 大砲鋳造想像復元図説明.jpg



 大砲鋳造想像復元図.jpg



 西洋式大砲「長州砲」の復元

 西洋式大砲「長州砲」1.jpg



 西洋式大砲「長州砲」2.jpg



 砲身の鋳型などの説明

 砲身の鋳型.jpg



 郡司家が鋳造した大砲のゆくえ

 郡司家が鋳造した大砲は、現在、ほとんどが行方不明となっています。
 その最大の要因は下関戦争です。長州藩は文久3年(1863)、下関海峡を通過する外国船を三度にわたり砲撃。これに対して、英・仏・蘭・米の四国は連合艦隊を結成し、翌元治元年(1864)、長州藩の下関沿岸砲台を報復攻撃しました。
 四国艦隊は各砲台を壊滅させ、大砲を戦利品として持ち帰るか、または破壊し去ったため、郡司家の大砲は欧米にもわずかな数しか残っていません。


 郡司家が鋳造した大砲のゆくえ説明1.jpg



 郡司家が鋳造した大砲のゆくえ説明2.jpg



 郡司家が鋳造した大砲のゆくえ.jpg



 郡司鋳造所は在来技術である「こしき炉」によって西洋式大砲を鋳造しており、近代技術へと移行する過渡期を物語る産業遺構として貴重なものです。

 みなさんも、この歴史的な「郡司鋳造所」の遺構広場を、探訪されてはいかがでしょうか!

 青海島育ちのマーくん









posted by 青海島育ちのマッサン at 16:47| 山口 🌁| Comment(0) | TrackBack(0) | 萩市 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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