吉田松陰は「松下村塾」を主宰し、幕末動乱期、後に、明治維新を打ち立てることになる「多数の門下生を輩出した」ことで、その感化力は、世界史上でも類例がなく、不世出の教育者として語られています。
吉田松陰像(山口県文書館蔵)

吉田松陰COMより
吉田松陰は、文政13年(1830)8月、長州藩の下級武士・杉百合之助の二男として萩の松本村に生まれました。
山鹿流兵学師範だった叔父の死後、吉田家を相続して兵学師範となり、その後九州や江戸に遊学して、嘉永4年(1851年)藩の許可なく東北行を敢行して御家人召放となりました。
安政元年(1854)ペリーが和親条約締結のため再航した時、密航を企て失敗して入獄、1年後、叔父玉木文之進の松下村塾の主宰者となり、高杉晋作、久坂玄瑞、入江杉蔵、野村和作、前原一誠、伊藤博文など、幕末から明治期に活躍した人材を教育しました。
松陰の松下村塾は一方的に師匠が弟子に教えるものではなく、松陰が弟子と一緒に意見を交わしたり、文学だけでなく登山や水泳なども行なうという「生きた学問」だったと云われています。
日米修好通商条約の調印を批判し、藩に老中要撃の計画を提起したりしたため再入獄され、翌年、幕府から藩に松陰東送の命が下り江戸に送られ、訊問に際しペリー来航以来の幕府の一連の政策を批判して、処刑されました。享年30(29歳没)。
獄中にて遺書として門弟達に向けて「留魂録」を書き残しています。
萩市椿東の「吉田松陰 生誕地」の位置

松陰誕生地と萩の眺望説明


吉田松陰(左)と金子重輔(右)の像
この銅像は、明治維新100周年を記念して、昭和43年(1968)に建立されたものです。
松陰先生が弟子の金子重輔を従え、下田沖のぺりー艦隊を見つめている姿を彫刻したもので、高さは約8mあります。
題字は当時の佐藤栄作首相が書き、銅像は萩出身の日展審査員長嶺武四郎が製作しています。


吉田松陰誕生地説明


吉田松陰誕生地説明図

吉田松陰誕生地 旧宅敷石

明日は、山口県萩市「吉田松陰 生誕地」その2を、ご案内致します。
青海島育ちのマーくん
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