2013年09月13日

山口県萩市「明治維新の功労者 吉田松陰 生誕地」(1)

 今日の山口県萩市旬の景色は、9月11日(水)午後の「明治維新の功労者 吉田松陰 生誕地」その1を、ご案内致します。 

 吉田松陰は「松下村塾」を主宰し、幕末動乱期、後に、明治維新を打ち立てることになる「多数の門下生を輩出した」ことで、その感化力は、世界史上でも類例がなく、不世出の教育者として語られています。

 吉田松陰像(山口県文書館蔵)

 吉田松陰.jpg



 吉田松陰COMより

 吉田松陰は、文政13年(1830)8月、長州藩の下級武士・杉百合之助の二男として萩の松本村に生まれました。
 山鹿流兵学師範だった叔父の死後、吉田家を相続して兵学師範となり、その後九州や江戸に遊学して、嘉永4年(1851年)藩の許可なく東北行を敢行して御家人召放となりました。

 安政元年(1854)ペリーが和親条約締結のため再航した時、密航を企て失敗して入獄、1年後、叔父玉木文之進の松下村塾の主宰者となり、高杉晋作、久坂玄瑞、入江杉蔵、野村和作、前原一誠、伊藤博文など、幕末から明治期に活躍した人材を教育しました。
 松陰の松下村塾は一方的に師匠が弟子に教えるものではなく、松陰が弟子と一緒に意見を交わしたり、文学だけでなく登山や水泳なども行なうという「生きた学問」だったと云われています。

 日米修好通商条約の調印を批判し、藩に老中要撃の計画を提起したりしたため再入獄され、翌年、幕府から藩に松陰東送の命が下り江戸に送られ、訊問に際しペリー来航以来の幕府の一連の政策を批判して、処刑されました。享年30(29歳没)。
 獄中にて遺書として門弟達に向けて「留魂録」を書き残しています。


 

 萩市椿東の「吉田松陰 生誕地」の位置 

 
 



 吉田松陰誕生地位置.jpg



 松陰誕生地と萩の眺望説明

 松陰誕生地と萩の眺望説明.jpg



 松陰誕生地からの萩の眺望.jpg



 吉田松陰(左)と金子重輔(右)の像
 この銅像は、明治維新100周年を記念して、昭和43年(1968)に建立されたものです。
 松陰先生が弟子の金子重輔を従え、下田沖のぺりー艦隊を見つめている姿を彫刻したもので、高さは約8mあります。
 題字は当時の佐藤栄作首相が書き、銅像は萩出身の日展審査員長嶺武四郎が製作しています。


 吉田松陰先生銅像1.jpg



 吉田松陰先生銅像2.jpg



 吉田松陰誕生地説明

 吉田松陰誕生地説明1.jpg



 吉田松陰誕生地説明2.jpg



 吉田松陰誕生地説明図

 吉田松陰誕生地説明図.jpg



 吉田松陰誕生地 旧宅敷石

 吉田松陰誕生地 旧宅敷石.jpg



 明日は、山口県萩市「吉田松陰 生誕地」その2を、ご案内致します。

 青海島育ちのマーくん








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posted by 青海島育ちのマッサン at 16:41| 山口 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 萩市 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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