この「幕末維新のくに長州へ」は、2015年NHK大河ドラマ「花燃ゆ」のヒロインで吉田松陰の妹である文とその家族、松下村塾や塾生たちを紹介する幕末維新をテーマとしたパンフレットです。
萩市は「幕末維新のくに長州」の代表的な歴史の舞台

吉田松陰と杉家の家族たち

松下村塾と塾生たち

明治維新、その胎動の地石碑
これぞまさしく長州萩にあり! と言っても過言ではありません。
吉田松陰先生をお祀りする松陰神社の一角に、明治百年を記念して昭和43年につくられた大きな石碑があります。
“明治維新胎動之地”と刻まれており、この題字は、当時の総理大臣佐藤栄作氏の筆によるものです。

明治維新の貢献者
久坂玄瑞

吉田松陰は久坂玄瑞を「防長第一流の人物」であると高く評価し、高杉晋作と争わせて才能を開花させるようつとめた。
松陰は、自分の一番下の妹との結婚を玄瑞に勧め、安政4年12月、玄瑞は松陰の妹・文と結婚。時に玄瑞18歳、文15歳。
安政5年(1858年)江戸と京都に遊学。安政の大獄による師・松陰刑死の後から、玄瑞は松陰の遺志を継ぐかのように長州藩尊攘運動の先頭に立ち活発に活動するようになる。
元治元年(1864年)6月池田屋事件の報が国許に伝わると藩内で京都進発の論議が沸騰。来島又兵衛や真木和泉らが諸隊を率いて東上。真木和泉らと共に堺町御門で戦ったが(禁門の変または蛤御門の変)負傷して、同じ松下村塾塾生である寺島忠三郎と共に鷹司邸内で自刃した。享年25。
松陰から受け継いだ久坂玄瑞の思想と行動力は、坂本龍馬や中岡慎太郎をはじめ、多数の志士たちに大きな影響を与えた。
桂小五郎(木戸孝允)

10代に入ってからは、藩主毛利敬親による親試で褒賞を受け、長州藩の若き俊英として注目され始める。
嘉永2年(1849年)、藩校明倫館で山鹿流兵学教授であった吉田松陰に兵学を学び、「事をなすの才あり」と評される。桂小五郎はいわゆる私塾・松下村塾の門下生ではなかったが、その後も松陰に対し、門人の礼をとリ続けていたという。
その後、坂本龍馬の斡旋で薩長同盟を締結。翌年の第二次征長戦にて幕府軍を退け、大政奉還を経て後、長州藩の復権に成功。薩長主導による武力倒幕を成し遂げ、新政府を樹立する。
新政府では総裁局顧問、外国事務係、参与となり、「五箇条の御誓文」の起草に参画し、大久保らとともに版籍奉還の実現に尽力する。明治4年(1871)、西郷とともに参議となる。
時を超えた維新の旅へでかけませんか!
青海島育ちのマッサン
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