2015年07月10日

山口県萩市 祝「明治日本の産業革命遺産」世界遺産登録決定(2)

 7月5日ユネスコ・世界遺産委員会で、萩市の明治日本の産業革命遺産5資産(萩反射炉、恵美須ヶ鼻造船所跡、大板山たたら製鉄遺跡、萩城下町、松下村塾)が、世界遺産に登録されました。

 今日の山口県萩市旬の景色は、「明治日本の産業革命遺産」ユネスコ世界遺産委員会で登録決定!その2として松下村塾をご案内致します。

 松下村塾(松陰神社境内)の位置

[ここに地図が表示されます]


 松下村塾(国指定史跡)は、吉田松陰が安政4年(1857)主宰した私塾で、松陰神社境内にあります。
 松陰神社境内入口には、 松下村塾 世界文化遺産登録の大看板が立っています。

 祝 松下村塾 世界文化遺産登録.jpg

 松陰神社も「松下村塾・世界遺産登録」決定後は、大勢の観光客で賑わっています。
 大勢の観光客.jpg

 松陰神社境内の案内図で、見どころを確認します。
 松陰神社境内案内図.jpg

 松陰神社御由緒・・・神社の歴史を確認
 松陰神社御由緒.jpg

 松陰神社一の鳥居
 松陰神社一の鳥居.jpg

 明治日本産業革命遺産・世界遺産登録決定の幟旗が祝賀の雰囲気を盛り上げます。
 明治日本産業革命遺産・世界遺産登録決定.jpg

 松下村塾は、明治維新の先覚者吉田松陰が主宰した私塾です。
 松陰は海防の観点から工学教育の重要性をいち早く提唱し、自力で産業近代化の実現を図ろうと説きました。黒船来航で欧米の軍事力を目の当たりにした松陰は、自分の目で海外の実情を確かめたいと考え、国禁を犯してまで黒船に乗り込んで海外密航を計画しました。

 松陰の教えを受け継いだ塾生(久坂玄端、高杉晋作、伊藤博文、山県有朋、山田顕義、品川弥二郎)らの多くが、のちの日本の近代化・工業化の過程で重要な役割を担いました。

 松下村塾は、木造瓦葺き平屋建ての50uほどの小舎で、当初からあった8畳の一室と、後に吉田松陰が増築した4畳半一室、3畳二室、土間一坪、中二階付きの部分から成っています。


 松下村塾1.jpg

 松下村塾2.jpg

 講義室だった8畳の部屋には松陰の石膏像と肖像画、机が置いてあります。
 松下村塾3.jpg

 松下村塾4.jpg

 明日は、山口県萩市 明治日本の産業革命遺産世界遺産登録決定その3を、ご案内致します。

 青海島育ちのマッサン



  
posted by 青海島育ちのマッサン at 11:55| 山口 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 萩市 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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