2015年10月17日

長門郷土文化研究会・歴史探訪 「福岡県飯塚市歴史資料館」(2)

 10月15日(木)、平成27年度の長門郷土文化研究会・歴史探訪で、福岡県飯塚市の「歴史資料館、嘉穂劇場、伊藤伝右衛門邸を訪れました。
 今日の飯塚市旬の情報は、 そのうちの「飯塚市歴史資料館」(2)を、ご案内致します。

 飯塚市歴史資料館は撮影禁止ですので、館内の展示物はパンフレットで紹介致します。

◆立岩遺跡立体模型室 
 約2000年前の立岩遺跡の人々のくらし(春から秋までの稲作作業、甕棺・石庖丁・絹織物・青銅器・鉄器の製作風景)をわかりやすく再現しています。

◆収蔵展示室
 立岩遺跡堀田甕棺群から出土した前漢鏡10面をはじめ国指定重要文化財約100点を一堂に展示しています。また、立岩遺跡について検索できる「バーチャル立岩歴史館」があります。

◆企画展示室
「歴史のはじまり」をテーマとして先土器時代から近世までの考古資料を時代別に展示しています。
企画展開催中は展示会場として使用しています。

◆常設展示室
「くらしと文化」をテーマとして飯塚地方の近世から近代までを
(1)農村のくらし、(2)長崎街道、(3)石炭の時代に分けて展示しています。
また、筑豊の炭鉱経営者の一人であった伊藤伝右衛門と、その妻であった柳原白蓮の展示コーナーを設けています。


 
 パンフレット2.jpg

 パンフレット3.jpg

 パンフレット4.jpg

 建屋の外側をご案内致します。
 カクメ石古墳石室
 カクメ石古墳は、福岡県飯塚市にかつて所在していました。1995年に、石室のみ飯塚市歴史資料館に移設され、公開されています。
 元々は、約1500年前に築造された、直径約15mの円墳です。

 この古墳は、竪穴式から横穴式古墳への過渡期の竪穴系横穴式石室と呼ばれるもので、内部にはベンガラが全面に塗られていたそうです。


 カクメ石古墳石室.jpg

 山上臣憶良の痾に沈みし時の歌一首 石碑
 士やも 空しくあるぺき 万代に 語り継ぐべき 名は立てずして

 右の一首は山上臣憶良が重病におちいった時に、藤原朝臣八束が河辺朝臣東人を遣わして病状を見舞わせた。そこで憶良臣は返礼の言葉を述ぺおえ、ややあってて涙をふき悲しみ嘆いて、この歌を口ずさんだ。


 山上臣憶良の痾に沈みし時の歌一首 石碑.jpg

 山上臣憶良沈病之時詩一首 石碑
 山上臣憶良沈病之時詩一首 石碑.jpg

 石碑
 石碑.jpg

 飯塚市歴史資料館から次の目的地「嘉穂劇場」へ向かいます。
 飯塚歴史資料館2.jpg

 明日は、長門郷土文化研究会・歴史探訪 「福岡県飯塚市嘉穂劇場を、ご案内する予定です。

 青海島育ちのマッサン




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posted by 青海島育ちのマッサン at 17:01| 山口 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 福岡 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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