旧滝部小学校本館と烈婦登波の碑の位置
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旧滝部小学校本館(下関市立豊北歴史民俗資料館)
旧滝部小学校本館はルネサンス様式を基調にした大正建築で、学校建築としては壮大な構成で卵丸窓を配した正面の切り妻二階バルコニーの列柱一階入口のアーチなど洋風石造建築の外観を木造に引写した意匠に特徴がある。
この本館は地元出身で貴族院議員まで務めた故中山太一兄弟が私財を投じて、大正十三年に建築し当時の滝部村へ寄贈したものでドイツ人技師が設計、宮大工とし名高い阿川地区の大工橋本銀之助氏が施行した。
記念撮影
滝部八幡宮 御由緒
当社は大分県宇佐八幡宮から勧請したとも神田上一の宮(現住吉神社)より勧請したとも伝えられる。
創建は弘長三年(1263)で応永九年、天文一六年には再建されたとある。本殿の造りは三間流造。
滝部上組、中組、下組、末組の氏神ではあるが、阿川毛利氏の篤い崇敬は当神社の存続に大きく関わる。
烈婦登波の碑
登波は滝部の宮番甚兵衛の次女であって、父甚兵衛と肉親数名を些細なことから殺傷した(文政四年・1821)石見の浪人枯木竜之進を討とうとして苦心惨胆、六十余州を遍歴し遂に豊前の彦山で本望を遂げた。(天保十二年・1841)
この事跡について、先大津代官勝間田盛稔は安政三年(1856)藩に申請して、登波は表彰され褒美を与えられた。
その後、先大津代官となった周布政之助は、登波の表彰文をその師吉田松陰に依頼した。松陰は一ヶ月の間、松下村塾の授業を休んで成稿した。(安政四年・1857)
その後、登波表彰のことが永く止んでいたのを、長府の桂弥一の進言によって、大正五年(1916)に地元の有志が発起し、中山太一の寄付によって建碑されたものである。
明日は、平成28年度長門郷土文化研究会・歴史探訪「下関市豊北町」その5を、ご案内致します。
青海島育ちのマッサン
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