2016年10月19日

山口県長門市青海島・通地区大越の浜「日露兵士の墓碑」

 今日の山口県長門市旬の景色は、10月18日(火)午前の青海島地区大越の浜日露兵士の墓碑を、ご案内致します。

 12月15日(木)長門市湯本温泉・大谷山荘において、「日露首脳会談」が開催されることになり、通地区大越の浜に建立されている「日露兵士の墓碑」が注目を集めています。

 日露兵士の墓碑の位置
 青海島・通地区南東側の「大越の浜」にあります。

[ここに地図が表示されます]


 大越の浜・日露兵士の墓碑への参道入口
 通小学校正門から南側へ約100mの地点です。

 大越の浜入口.jpg

 参道入口から大越の浜までは約50mです。
 大越の浜に至る道1.jpg

 大越の浜に至る道2.jpg

 大越の浜
 この大越の浜では、平成13年(2001)に、1920年代に活躍し26歳で亡くなった童謡詩人・金子みすゞの半生を描いた、TBS創立50周年記念番組「明るいほうへ明るいほうへ −童謡詩人金子みすゞ−」のロケが行われました。


 大越の浜1.jpg

 大越の浜2.jpg

 大越の浜3.jpg

 日露兵士の墓碑・・・丘にあります。
 日露兵士の墓碑1.jpg

 日露兵士の墓碑2.jpg

 日露兵士の墓碑3.jpg

 日露兵士の墓碑4.jpg

 常陸丸遭難兵士の墓碑
 (現在の墓は大正10年(1921)通村で建立)
 明治37年(1904)2月に日露戦争が起こり開戦後の6月16日、千人を超える兵士を満載した輸送船「常陸丸」は、対馬海峡でロシア艦艇の砲撃をうけて沈没し、ほとんどの兵士が船と運命を共にした。
 その兵士らの遺体が、遠く通浦大越の浜に漂流したので、浦人は遺体をこの浜に丁重に葬った。


 常陸丸遭難兵士の墓碑.jpg

 ロシア兵士の墓碑
 (現在の墓は昭和43年(1968)通地区の有志で建立) 
 明治38年5月27日、対馬海峡通過のロシア・パルチック艦隊を、東郷長官率いる日本連合艦隊が迎え撃った。意表を突いた日本艦隊の作戦でロシア艦隊は壊滅し、日本の大勝利となった。
 海戦の砲声は、遠く大津郡(現 長門市)までも届いた。
この時も、戦死したロシア兵士の遺体が大越の浜にあがったので、浦人は敵兵の遺体も、常陸丸の日本兵と同様、ねんごろに葬り供養を続けています。


 ロシア兵士の墓碑.jpg

 安倍総理とプーチン大統領が一緒に、青海島・通地区・大越の浜に建立されている「歴史的な常陸丸遭難兵士の墓とロシア兵士の墓」にお参りされて、「日露の友好関係」を推進していただければと思います。

 青海島育ちのマッサン






posted by 青海島育ちのマッサン at 11:23| 山口 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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