中山忠光が祀られている中山神社の位置
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中山忠光と中山神社説明板

1845(弘化2)年4月13日生まれ。父は中納言中山忠能(後に大納言)、母は平戸藩主松浦清(静山)の女・愛子。中山家は藤原北家閑院流の花山院家の流れをくむ羽林家。始祖は山槐記の作者として院政期の内大臣・中山忠親。長兄・忠愛の養嗣子。姉・慶子は孝明天皇典侍、明治天皇生母。
1858(安政5)年侍従。1862(文久2)年国事寄人。1863(文久3)年官位を捨てて長州に下向、久坂玄瑞に推され光明寺党の党首となる。久留米藩で幽閉されていた真木和泉の解放に尽力、下関攘夷戦争に参加。京都に帰り8月天誅組主将として大和国(奈良県)で討幕の兵を挙げるも、8月18日の政変で孤立。幕府軍に追われ大和山中を転戦、大坂の長州藩邸から海路長州に逃れる。
以後、長州藩と支藩・長府藩領に匿われる。1864(元治1)年1月延行村に寓居、7月安岡浦から海路で湯玉浦上陸、のち上畑常光庵に滞在。以後、下関戦争の報を聞いてか黒井村に現れたりしたが、田耕村に滞在していた11月上旬、暗殺される。享年20歳。
中山忠光の暗殺された地に、没後100周年を機に建てられたのが中山神社です。境内には中山忠光卿辞世の碑が建てられています。
豊北郷土文化友の会・熊井会長の説明

中山神社




中山忠光卿

中山忠光卿辞世の碑

中山忠光卿遭難の地碑と血染めの岩

中山神社を後にして、長門市へ向かいます。

今回で、平成28年度長門郷土文化研究会・歴史探訪・下関市豊北町は、終了させていただきます。
アクセスいただき、ありがとうございました。
青海島育ちのマッサン
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