2016年12月02日

山口県長門市青海島・通地区「日露兵士墓碑参拝道路整備完了」(1)

 今日の山口県長門市旬の景色は、12月1日(木)午前の青海島地区「日露兵士墓碑への参拝道路整備完了その1を、ご案内致します。

 12月15日(木)長門市湯本温泉・大谷山荘において、「日露首脳会談」が開催されることになりました。
 日露首脳会談.jpg

 このため、通地区大越の浜に建立されている「日露兵士の墓碑が注目され、県内外から多くの人が参拝に訪れています。

 日露兵士の墓碑説明
 日露兵士の墓碑説明.jpg

 しかし、市道から日露兵士の墓碑がある大越の浜に至る参拝道路が山道のため、急傾斜や雨が降るとぬかるみ歩きにくい状況でした。
 このため、「通まちづくり協議会(新谷勇会長)」をはじめとする地域住民のみなさんが、第1ステップで11月15日に急傾斜の道の整備、第2ステップとして30日に平坦な山道の整備を行われました。

 これから、市道から参拝道路への入口 → 
 整備された平坦道路 → 整備された急傾斜の階段道路
 → 大越の浜 → 日露兵士の墓碑
 までのアクセスをご紹介いたします。

 市道から参拝道路への入口・・・看板が設置され、分かりやすくなりました。

 日露兵士の墓碑アクセス道路入口.jpg

 今回整備された平坦道路・・・雨が降っても大丈夫です。
 第2期アクセス道路整備完了.jpg

 平坦道路階段道路の境目・・・色分けされています。
 アクセス道路第2期と1期との境.jpg

 階段道路・・・手すりのロープも設置され安全に配慮されています。
 第1期整備アクセス道路1.jpg

 第1期整備アクセス道路2.jpg

 大越の浜に到着
 大越の浜.jpg

 日露兵士の墓碑は、階段道路を降りて左手の小高い丘に建立されています。
 日露兵士の墓碑へ.jpg

 日露兵士の墓碑の手前には、無縁仏の墓碑がありますので、まず、この墓碑に参拝します。
 墓碑.jpg

 常陸丸遭難兵士の墓碑
 (現在の墓は大正10年(1921)通村で建立)
 明治37年(1904)2月に日露戦争が起こり開戦後の6月16日、千人を超える兵士を満載した輸送船「常陸丸」は、対馬海峡でロシア艦艇の砲撃をうけて沈没し、ほとんどの兵士が船と運命を共にした。
 その兵士らの遺体が、遠く通浦大越の浜に漂流したので、浦人は遺体をこの浜に丁重に葬った。

 
 常陸丸遭難兵士の墓碑.jpg

 ロシア兵士の墓碑
 (現在の墓は昭和43年(1968)通地区の有志で建立) 
 明治38年5月27日、対馬海峡通過のロシア・パルチック艦隊を、東郷長官率いる日本連合艦隊が迎え撃った。意表を突いた日本艦隊の作戦でロシア艦隊は壊滅し、日本の大勝利となった。
 海戦の砲声は、遠く大津郡(現 長門市)までも届いた。
この時も、戦死したロシア兵士の遺体が大越の浜にあがったので、浦人は敵兵の遺体も、常陸丸の日本兵と同様、ねんごろに葬り供養を続けています。


 ロシア兵士の墓碑.jpg

 明日は、山口県長門市青海島地区「日露兵士墓碑への参拝道路整備完了その2を、ご案内致します。

 青海島育ちのマッサン





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posted by 青海島育ちのマッサン at 07:25| 山口 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日露首脳会談 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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