2017年02月17日

山口県長門市青海島・通「段浦からの眺望・大越の浜と日露兵士の墓碑」

 今日の山口県長門市旬の景色は、2月13日(月)午前の青海島地区「段浦からの眺望大越の浜日露兵士の墓碑を、ご案内致します。

 通地区段浦の撮影ポイント

[ここに地図が表示されます]


 大越の浜と日露兵士の墓碑
 大越の浜と日露兵士の墓碑1.jpg

 大越の浜と日露兵士の墓碑2.jpg

 大越の浜と日露兵士の墓碑3.jpg

 日露兵士の墓碑
 日露兵士の墓碑.jpg

 常陸丸遭難兵士の墓碑(右側)
 (現在の墓は大正10年(1921)通村で建立)
 明治37年(1904)2月に日露戦争が起こり開戦後の6月16日、千人を超える兵士を満載した輸送船「常陸丸」は、対馬海峡でロシア艦艇の砲撃をうけて沈没し、ほとんどの兵士が船と運命を共にした。
 その兵士らの遺体が、遠く通浦大越の浜に漂流したので、浦人は遺体をこの浜に丁重に葬った。


 ロシア兵士の墓碑(左側)
 (現在の墓は昭和43年(1968)通地区の有志で建立) 
 明治38年5月27日、対馬海峡通過のロシア・パルチック艦隊を、東郷長官率いる日本連合艦隊が迎え撃った。意表を突いた日本艦隊の作戦でロシア艦隊は壊滅し、日本の大勝利となった。
 海戦の砲声は、遠く大津郡(現 長門市)までも届いた。
この時も、戦死したロシア兵士の遺体が大越の浜にあがったので、浦人は敵兵の遺体も、常陸丸の日本兵と同様、ねんごろに葬り供養を続けています。


 
 青海島育ちのマッサン



 

 
posted by 青海島育ちのマッサン at 06:36| 山口 | Comment(0) | TrackBack(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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