2018年04月13日

広島市平和記念公園(2)

 今日の広島市旬の景色は、4月9日(月)午後の平和記念公園その2を、ご案内致します。

 原爆死没者慰霊碑前では、世界12か国の僧侶が平和への願いを込めてお祈りされていました。
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 平和の池・平和の灯説明
 平和の池・平和の灯説明.jpg

 平和の池・原爆死没者慰霊碑.jpg

 平和の灯.jpg

 原爆の子の像
 建立年月日 昭和33年(1958年)5月5日
 2歳の時被爆し、10年後に白血病を発病して亡くなった佐々木禎子さん。その死に衝撃を受けた同級生たちが、「原爆で亡くなったすべての子どもたちのために慰霊碑をつくろう」と全国へ呼びかけ、全国3,100校余りの生徒と、イギリスをはじめ世界9か国からの支援により、完成したのが、高さ9メートルのこのブロンズ像です。

 原爆の子の像説明.jpg

 原爆の子の像1.jpg

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 原爆の子の像2.jpg

 原爆ドーム
 大正4年(1915年)に広島県内の物産品の展示・販売をする施設として建てられ、広島県美術展覧会や博覧会も催されていました。設立当初は 「広島県物産陳列館」という名称でしたが、その後「広島県立商品陳列所」、昭和8年(1933年)には「広島県産業奨励館」に改称されています。

 昭和20年(1945年)8月6日午前8時15分。人類史上最初の原子爆弾が炸裂したのは、広島県産業奨励館から南東約160メートル、高度約 600メートルのところです。
 爆風の圧力は1平方メートルあたり35トン、風速は440メートルという凄まじいもので、建物は爆風と熱線を浴びて大破し、天井から火を吹いて全焼。爆風がほとんど垂直に働いたため、本館の中心部は奇跡的に倒壊を免れたものの、館内にいた人はすべて即死しています。
 戦後、旧産業奨励館の残骸は、頂上の円蓋、鉄骨の形から、いつしか市民から原爆ドームと呼ばれるようになりました。

 原爆ドームは、平成8年(1996年)12月、ユネスコ第20回世界遺産委員会メリダ会議で、核兵器の惨禍を伝える建築物として世界文化遺産に登録されました。


 原爆ドーム2.jpg

 原爆ドーム1.jpg

 明日は、広島護国神社・広島城を、ご案内致します。
 
 青海島育ちのマッサン




posted by 青海島育ちのマッサン at 07:19| 山口 | Comment(0) | 広島 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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