2018年07月09日

山口県長門市青海島・通地区「露艦戦士の墓碑」の記録

 今日の山口県長門市旬の情報は、青海島・通公民館発行の「露艦戦士の墓碑」の記録を、ご案内致します。

 長門市青海島地区の大越の浜に、「露艦戦士の墓碑」と「常陸丸遭難者の碑」が建立されています。
 
日露兵士の墓碑説明.jpg

 日露兵士の墓案内板
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 通公民館発行の「露艦戦士の墓碑に関わる記録」表紙
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 目次 
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 要旨
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 露艦戦士の墓碑建立経緯
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 露艦戦士の墓碑建立経緯2.jpg

 露艦戦士の墓碑建立経緯3.jpg

 露艦戦士の墓碑説明
 明治38年(1905)5月28日の対馬沖で、日本とロシアで日本海海戦が行われた。この海戦で戦死したロシア兵の遺体が、通地区の大越の浜にもが打ち上げられた。
 浦人はこれをねんごろに葬り供養を続けてきた。墓碑は最初は自然石をおいただけのものであったが、昭和43年、通浦の有志の手で立派な御影石の墓に建てかえられた。
 
 露艦戦士の墓碑説明.jpg

 常陸丸遭難者の墓碑説明
 明治37年(1904)陸軍の御用船となった常陸丸は、同年6月15日将兵等千余人を乗せて中国へ向かう途中、玄界灘でロシア軍艦に砲撃されて沈没した。
 ほとんどの将兵が舟と運命を共にした。戦死者の遺体は通地区の沖合にも流れてきたので、村で丁重に弔った。この碑は大正10年通村が建立したものです。

 常陸丸遭難者の墓碑説明.jpg

 
 青海島育ちのマッサン





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posted by 青海島育ちのマッサン at 07:27| 山口 ☁| Comment(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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