道の駅萩往還には、維新の志士10名の銅像があり、志士の経歴が紹介されています。
左から山県有朋、木戸孝允、伊藤博文
山県有朋は、松下村塾門下生として尊攘思想を学び、のちに戊辰戦争に参加。大村益次郎の後を継ぎ兵制を整え、西南戦争では征討参軍となる。伊藤博文と共に明治政府の最高指導者となり、内務卿・枢密院議長・総理大臣等を歴任する。
木戸孝允は、西郷隆盛,大久保利通とともに明治維新三傑といわれる。吉田松陰に学び、討幕の志士として活躍した。明治維新後、五箇条の御誓文の起草、版籍奉還、廃藩置県などに尽力。
伊藤博文は、吉田松陰に学び、倒幕運動に参加。のち明治憲法立案に当たる。明治18年(1885)内閣制度を創設、初代総理大臣となった。枢密院・貴族院の初代議長を歴任。のち、立憲政友会を組織し、総裁に就任。
右から野村和作、天野清三郎
野村和作は、第二次長州征討で活躍、明治維新後は岩倉使節団の一員として渡欧、第二次伊藤内閣で内務大臣に就任しました。晩年も富美宮・泰宮両内親王の養育掛長を務めました。
天野清三郎は、松下村塾には16歳の時に入りました。 塾に寝泊りして学び、松陰はその学識を高く評価していました。
のち長州藩の海軍所に入り、馬関戦争や奇兵隊創設にも参加しました。
明治維新後は長崎造船所の創設に貢献しました。
左から高杉晋作、吉田松陰、久坂玄瑞
高杉晋作は、松下村塾に学び、奇兵隊を組織した。四国艦隊下関砲撃事件には正使として和議を結び、のち藩論を討幕に統一、第二次長州征伐の幕府軍を破った。
吉田松陰は、幕末の勤王家・思想家・教育者。長州生。江戸に出て、安積艮斎、山鹿素水、佐久間象山らに学ぶ。安政元年下田の米艦に搭乗を計り失敗、投獄ののち生家に幽閉されるが、ここで松下村塾を開き、高杉晋作、久坂玄瑞、伊藤博文、山県有朋ら多くの門人を育てた。
久坂玄瑞は、吉田松陰に学び,松陰に愛されてその妹と結婚し,高杉晋作とともに松下村塾の逸材とみなされた。松陰の死後,尊王攘夷運動に丁身し,広く諸藩の志士たちとも交わった。長州藩の藩論が長井雅楽の『航海遠略策』による公武合体論に傾いたおり,文久2 (1862) 年春,脱藩上京して宮廷を動かし,藩論を尊攘論に統一するという働きもした。
左から品川弥二郎、山田顕義
品川弥二郎は、吉田松陰の松下村塾に 入門、尊王攘夷運動に挺身する。外務省書記官・特命全権公使としてドイツに駐在し、 帰国後、宮中顧問官・枢密顧問官・松方内閣の内相等を歴任する。
山田顕義は、松下村塾に学び、禁門の変に参加した。第一次伊藤内閣の 司法相、黒田・第一次山県・第二次松方の各内閣でも司法相を歴任する。
皆様も歴史探訪で、萩市 道の駅萩往還に、出かけられてはいかがでしょうか。
青海島育ちのマッサン
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